わかってもらえない人2

2015年9月6日 / 彷徨う人

 当初は、分別のある良い人だと思っていたのに、思うように事が進まないと、明らかに不機嫌になり、時々言葉も乱暴になる。自分に都合の良いことはよく聞きよく話すが、都合の悪いことや興味のないことには耳を貸さない。時々怒り、時々塞ぎこみ、たまに思い切った行動をして私を驚かせる。なんとか関係を続けることは可能だったが、求める結果が出ないとわかると、その人は、態度を豹変させ、突如私を激しく非難し始め、ついには無能と断定して切り捨てる。そういう人が(依頼人にも相手方にも)時々現れる。

 BPDの人がそうである原因の一つは極めて低い自尊心にある。そのために、少しでも気を抜くと自分の価値が見抜かれて見捨てられるに違いないと思いこんでいるので(①極度の見捨てられ不安)、少しでも他人から注意されたり非難されると、たちまち防御態勢をとって緊迫し(②激しい気分の変動)、自分を「善」、相手を「悪」(あるいは、自分の「悪」の部分は相手によってもたらされたもの)とみなし(③極端な理想化と脱価値化)、あらゆる理屈を考えて激しく反論してくる(④抑えきれない怒り)。たいていはBPDの人が議論に勝つが(相手が議論に疲れて譲歩するため)、仮に形勢が不利になって自分の存在が脅かされると、場合によっては、嘘も平気でつくし、思い切った行動に出ることもある(⑤衝動的で自己破壊的な行動)。

 ただし、その人にとっては、自分の生き死に(存在価値)にも関わる重大問題なので、これらの言動は当然のことだ。健康な人でも皆、心の内側には、同じような見捨てられ不安(①)を抱えているが、BPDの人はそれが極端であるに過ぎず、この極端さに基づく激しい反応が普通の人の中で目立ってしまい、これが人間関係のトラブルにつながっているに過ぎない。要するに、現在健康な人は皆、その成長の過程等において、自分の価値を自分なりに家族の中や社会の中に見出して、ありのままの自分を受け入れた上で、他人からの注意や非難によって感じる不安については、たとえば、自分には努力が足りないと考えて更にがんばろうとしたり、人それぞれ考え方が違うのだから気にしなくていいと考えたりして、極端な不安に陥ることなく、極端な行動に出ることもなく過ごすことができるが、現在BPDの人は、成長過程等における環境に恵まれなかったために、不安等を回避するための合理的なモノの考え方を身につけないでいるだけである。
                                                                     

BPD = Borderline Personality Disorder (境界性パーソナリティー障害)

参考文献
「境界性パーソナリティー障害ファミリーガイド」
(著者)ランディ・クリーガー (監訳者)遊佐安一郎(発行所)星和書店

ストックホルム症候群

2015年8月23日 / 彷徨う人

 いわゆる「ストックホルム症候群」とは、1973年8月にストックホルムの銀行で起きた「2人組による強盗事件」において、このとき人質となった4名の若者が、次第に強盗犯を擁護するような言動に出たことから着目された、特殊な認知障害である。
 奇妙なことに、① 長時間の拘束の間に、次第に強盗犯と人質との間に信頼関係が築かれて、強盗犯が眠っている間、人質が警察に銃を向けて警察の突入を阻止したり、② 事件が終了して拘束を解かれてからも、人質たちは、警察に対して強盗犯を弁護するような供述をし、そのうちの一人は後に強盗犯と結婚したが、かような認知障害(不可解な心理反応)はなぜ起こったのか。

 人質が警察に銃を向けた(上記①)のは、強烈な恐怖に支配された人質が、生き延びるために、その支配者(強盗犯)に対して、完全な服従を誓ったからであろう。特に「警察が突入したらお前ら全員殺して俺も死ぬ」などと言われていれば、警察の突入を全力で防ごうとすることがありうることは容易に想像できる。ただし、人質が警察に銃を向けたのは、それだけが理由ではなさそうだ。なぜならば、強盗犯2人が眠り、人質が銃を持っているのであれば、もはや拘束されている必要はないはずだからである。

 強烈な恐怖に支配された時間が長く続くと、人質は、自分の「心」を守るために、自分の置かれた深刻な事態を敢えて軽視しようとし、その結果、「強盗犯は実は悪い人じゃない。きっと、命は助けてくれるに違いない。」とか、「強盗犯が怒っているのは、さっきの私の態度が悪かったからであり、それは専ら私の責任だ。」などと考えるようになり、また、いったん突きつけられた銃口が下げられると「命を助けてくれた」と感謝の念さえ抱くようになる。
こうして、被支配者(人質)が支配者(強盗犯)に対して、「共感」、「信頼」、「感謝」さらには「好意」とも見える心理状態を誤って形成することがあるらしく(上記②)、これがこの症候群の本質である。

                                                                       
 ところで、かような認知障害(心理反応)は、強盗人質事件でのみ見られるものではなかった。

 暴力団員及び暴力団関係者らによって長期間脅され、搾取され、まとわりつかれていた家族が、正にかような心理状態に陥っていたところ、我々(弁護士)は、この家族から依頼を受けたので、脅し取られた金額に、これと同額の慰謝料を加算した金額の支払いを求めて提訴した。
 しかし、裁判官にはこのこと(被害家族に「認知障害=誤った心理反応」が生じていたこと)が見抜けず、暴力団側からの「自分たちは彼らを脅したことはないし、彼らも自分たちのことを怖がってはいない。自分たちは、むしろ頼りにされ、彼らの相談にものっていた。自分たちが受け取ったお金は、彼らが、お礼として自発的に持参してきたものだ。」という弁解を一部受け容れ、被害家族はさほど恐怖を感じていたわけではないと認定して、慰謝料の請求をほぼ退けてしまった。

(ただし、控訴審の裁判官は、一審判決を覆して相応の慰謝料の請求を命じた。なお、ストックホルム症候群のような心理反応が生じていたという主張は、控訴審において初めてしたものだが、控訴審の裁判官が、この主張を容れたのかどうかは不明である。)。

高齢者の介護放棄3(セルフネグレクト)

2015年7月24日 / 彷徨う人

 独立して遠くに住み、毎日仕事に追われている息子。
 遠くに嫁ぎ、家事や孫の育児に明け暮れる娘。
 子どもたちの足を引っ張りたくないとの思いで、夫婦だけで、あるいは一人で頑張っている親が、人知れず、自分の身の周りのことができなくなってしまっているケースがある。

 いつの間にか、調理はしなくなってスーパーで出来合いのものばかり買って食べるようになり、現金を使わなくなって日常の小さな買い物もすべてカードで済ますようになり、洗濯をしなくなって着替えの下着はすべて新品を購入するようになっていても、年に一度か二度しか実家に戻らない息子は、この変化に気づかない。
 実は、いつの間にか、「調理はしない」のではなく「調理はできなくなった」のであり、「便利だからカードを使っている」のではなく「計算ができなくなったからカードを使っている」のであり、洗濯機の使い方も風呂の沸かし方もわからなくなっていたのだが、時々親を訪ねている娘でさえ、それに気づくのはずっと後になってからだ。

 やがて、毎日、寿司や天ぷらなど好きなものだけを買って食べるようになり、食べ残すととりあえず冷蔵庫に入れ、冷蔵庫に入れたことを忘れてまた買うから、冷蔵庫には同じものが大量にたまって、奥の方から腐り始める。たまに冷蔵庫から食べ残しを取り出すことがあっても、レンジの使い方がわからないので温め直すことなく冷たいまま食べている。
 時々若い友人に連れていってもらっていたスーパー銭湯にも行かなくなり、着替えも買わなくなる。
 要不要の判断は全くできず、物を捨てられないため、家には不要品やゴミが増え、足の踏み場がなくなり、気づくと、ゴミ屋敷的に・・・。   
(ただし、いわゆる「ゴミ屋敷」は、認知症とは別の精神障害(ホーディング障害)によるものが多いらしい・・・。)。

高齢者の介護放棄2(介入拒否)

2015年7月22日 / 彷徨う人

 発達障害や精神疾患のある我が子の行く末をずっと心配してきたのに、結局、見るべき備えができないまま年を取った親が、子の監護ができないほどに衰えてしまった結果、傍目からは、子が親の介護を放棄していると見られるケースがある。
その高齢の親が、介護や診療を要する健康状態にあることが明らかであるように見えるのに、同居する子が、介護認定・介護サービスや診療を親に受けさせることを拒み、役所職員・包括支援センター職員・民生委員らが親との面談をねばり強く求めても、頑なにこれを拒んで、その結果、親子ともども引きこもりの状態になっているようなケースである。

 おそらく、同居する子からしてみれば、長年親子だけで生活してきたし今も特に支障のない日常生活を送っていると思っているのに、そこへ他人が無理矢理家の中に入ってこようとしているのであるから、それだけで、とても耐え難いことなのだろう。また、介護サービスや診療を受けても、介護保険や健康保険の適用によってさほどの経済的負担なく(あるいは生活保護によって経済的負担なく)、親子ともに、より健康的で積極的な生活が送れる可能性があるのに、子は、容易にそのことに思い至ることができず、逆に、「たとえ少額の負担であっても、新たな経済的負担が生じること自体到底受け入れることはできない。」と考えているはずである。
 よって、役所職員等は、図らずも介護者となった子の気持ちを汲みながら、優しく辛抱強く何度も説明し、正しい理解を促し、親が適切な介護サービスと診療を受けられるように誘導しているが、しばしば難航している・・・。

高齢者の介護放棄1(徘徊放置)

2015年7月13日 / 彷徨う人

 高齢者が認知症を煩い、頻繁に徘徊するようになった後、同居の家族が徘徊の対応に疲れきった結果、高齢者の介護が放棄されるケースがある。

 認知症高齢者が徘徊するのには、もちろん理由がある。
 高齢者は、認知症により、今いる場所が何処だかわからなくなり、また、今が何時かがわからなくなる(見当識障害)。その結果、何らかのきっかけで家を出てしまうと、まもなく帰り方がわからなくなって徘徊してしまうこともあるが、この徘徊はそれほど深刻な問題ではない。 問題は、夕方になり日が暮れてくると始まる徘徊である(夕方症候群)。この徘徊は、引き留めようとすると激しく抵抗されることも多く、対応が困難である。多くの場合、(見当識障害のために)今いる場所が自分の居場所であることがわからなくなり、かつて住んでいた家に帰ろうとして徘徊しているようだ。ときには、子ども時代にまで時間を遡った上で自分の親が待つ家に帰ろうとしたりする。よって、そのとき、同居の家族は家族と認識されていないから、徘徊を阻止しようと説得しても困難で、無理に説得しようとすると火に油を注ぐ結果となる。その徘徊の意味を理解し、気持ち(たとえば家に帰りたいという気持ち)に寄り添いながら一緒に歩くと、やがて納得して徘徊をやめるが、これが毎夕繰り返されると同居の家族は音を上げるほかない。 やがて,徘徊の外出を見逃すことが増え、警察に保護されることが増え、やむなく、徘徊できないように家に閉じこめるようになるが、この状態に至れば、もはや自宅での生活は困難になっていると言うほかない。

 高齢者にはホームに入居してもらった上で、家族がそこへ頻繁に訪問をするという形に切り替えないと、共倒れになってしまう。自宅での生活を願う高齢者の気持ちを思えば、ホームに入居させることはとても辛いが、余裕を失った家族に優しくしてもらえない高齢者は、もっと辛いのかも知れない。

乳幼児虐待の冤罪

2015年7月8日 / 驕る人々

 児童相談所長には強大な権力が与えられている。すなわち、児童福祉法33条の「一時保護処分」である。これは、乳幼児及び児童への虐待が疑われるとき、児童相談所長が、その裁量で、いち早く、子どもを親から分離して保護することができる行政処分である。正しく運用されている限りはすばらしい制度であると思う。実際、これによって多くの子どもたちの命が助かったはずだ。
 しかしながら、物言えぬ乳幼児の保護については難しい問題がある。すなわち、子どもの言葉や表情から虐待の有無を推測することが困難であるが故に、虐待があったと事実誤認されるケースが相当数発生しているという点である。
この点、児童相談所は「母子が離れて生活することによるデメリットは、万が一の命の危険の回避というメリットと比べれば取るに足りない。」と言って事実誤認を恐れない(一時保護の後の施設入所に承諾を与える裁判所も同様の態度。)。しかし、これは、「愛着障害」という危険を知らない、あまりにも浅はかな考えである。

 おおよそ満1歳から3歳までは、子どもの成長過程において極めて重要な時期である。この時期、子どもたちは、母(または母に代わる特定の保護者)を安全基地としながら、時々母から離れ、まず、母と自分が異なる存在であることを知り、次に、安全基地を持っているがゆえに、母が一時的にそばにいなくても母の視線を意識した行動(悪いこと・危ないことをして母に叱られたくないとか、良いことをして母に誉められたいとかいう気持ちによって抑制される行動)がとれるようになるが、この時期にこの過程を経て成長しないと、自分の気持ちと他人の気持ちを区別できない子どもになったり、自分の身にふりかかる危険に鈍感な子どもになるおそれがあるからである。そうなると、その子どもは、少年時代を極めて不安定で危険な環境下で過ごすことになるが、その悪影響が明らかになるのは10数年後のことであるから、児童相談所長は、虐待の事実誤認の責任を、その子どもに対して取ることができないのである。
 よって、児童相談所長は、このことを肝に命じ、乳幼児の分離保護には最大の注意を払わなければならないし、その裁量の逸脱の有無を判断する裁判官も、同様であって、安易に児童相談所長の事実認定を追認することがあってはならない。

親の介護と女性

2015年7月8日 / 彷徨う人

 ようやく育メンは増えたけど、親の介護では、まだまだ多くの女性が犠牲になっている。共稼ぎに理解を示す男は増え、育メンともてはやされるようになったが、実親の介護は自分がするものと考える男はどれくらいいるのか。
「妻(妹)がやってくれるかも。」と思ってないか?

いや、「妻(妹)にやってもらえ。」と言う人々の存在がそれを妨げていて・・・そちらが先決問題か。

わかってもらえない人

2015年6月23日 / 彷徨う人

 警察や何人もの弁護士に相談したけどわかってもらえなかったと訴えて相談に来る人が少なくない(タイプ1)。
 聞くと、あちらこちらへ話が飛び、いったい何時の何の話をしているのかがわからない。私は、ひととおり話を聞いた後、もう一度こちらから時系列で聞き直し、さらに、客観的な資料と照らしあわせて、どこが間違いなくて、どこがあやふやかを確かめながら、腑に落ちるまで話を聞き続ける。自分に起きた出来事を全部記憶してはいるものの、それがどういう順番で起きたかは、こちらから聞かなければなかなか答えられないようだ。そして、また、①「事実の有無」と②「その事実の評価」とを区別できないことがあり、たとえば、書面の内容が説明されないまま、強引に契約を勧められ、言われるままに署名捺印したためにできあがった契約書があるとき、「①署名捺印をしたことは間違いないが、②真意に沿わない契約だから納得できない。」と言うべきであるところを、この区別ができないまま、まとめて「署名なんかしてない!」と言ってしまう。
 この人から相談を受ける人は、これを聞いた瞬間、この人は信用できないと考えて依頼を断るのだと思うが、私は、それだけでは信用できないとは考えない。依頼を断るのは簡単だが、断ると、この人は彷徨うしかなくなる。
                                                                                                      
 警察や何人もの弁護士に相談したけどわかってもらえなかったが、そのことを少し隠して相談に来る人が少なくない(タイプ2)。
 何度も受任を断られている相談者は、「この事実を話すとまた断られるかも」と考え、意識的もしくは無意識的にその事実を避けて話そうとするから、話を聞いて腑に落ちるまでに相当の時間を要することもある。
話は、しばしば熱くなり、聞いている者の共感を引き出し、正義感を刺激するから、いったん受任することになることが多い。しかし、思うように事が進まないと、しばしば態度が不機嫌になり、結果を強く求めるようになり、進め方にも注文を出し、挙げ句の果てには、無能呼ばわりする。
 この人から相談を受ける人は、途中で、この人は信用できないと考えて依頼を断るのだと思うが、私は、これくらいでは信用できないとは考えない。依頼を断るのは簡単だが、断ると、この人は彷徨うしかなくなる。

介護疲れと高齢者虐待

2015年6月16日 / 彷徨う人

 一見、弱い者いじめを連想させる高齢者虐待。「育ててもらった恩を忘れてなんてひどいことをするんだ」と思う人もいるかもしれないけど、そう単純な話ではない。
 家庭内暴力の続きか、すなわち、親が年をとって、子どもの暴力を押さえきれなくなったのか?子どものころ虐待を受けた子どもが親に対して仕返しをしているのか?
 もちろん、そうではない。家庭内暴力で親に迷惑をかけた少年はすっかり更生し、反省し、むしろその頃のことを償うために親孝行したいと思っているし、虐待を受けていた子でさえ、弱ってしまった親を見ると、過去のことは水に流して親孝行したいと思っている。
 親の介護をしたことがある人なら、なぜ虐待が起こるのか説明をするまでもなくわかることだが、そうでない人には説明をしてもわからないかもしれない。
 恩を忘れたわけではなく、むしろ恩返しをしたいのに、恐ろしい現実を目の当たりにしたとき、脳を素通りして身体が衝動的に動きそうになるのだ。そして、辛うじて身体を止めることができたとしても、気づくと、あり得ない暴言が口を飛び出しているのだ。なぜならば、かつて、力強く仕事に邁進していた父が、ずぼんを大便で汚してうろたえるからである。かつて、優しく、限りない愛情を注いでくれた母親が、お金を盗ったんじゃないかと自分に疑いの目を向けて罵るからである。
 病気がそうさせているのだと頭ではわかっていても、身体がこれを受け入れられない。これが虐待の正体である。

 一人で、あるいは家族だけで介護を頑張ってはいけない。また、完璧な介護を目指してはいけない。
 自分の親の介護は人に委ね、人の親の介護を自分がするというくらいの気持ち。心穏やかに暮らしてさえいれば、老人ホームの中で退屈をしていても仕方ない。週末に一度だけ顔を見に行くだけでいいという気持ち。 それくらいでいかないと。

彷徨う人

2015年6月16日 / 彷徨う人

彷徨う人を見ると、放っておけない気持ちになる。
その姿は、まるで僕の母であり、父であり、かつての自分であり、そして今の自分のようだ。
                                                                      
何が起きてるかがわからない。
どうすればいいのかわからない。
どうしたいのかがわからない。
それはわかってるけど動けない。
動けるけどわかってもらえない。
                                                                      
彷徨う理由は人それぞれ。
                                                                      
ちょっと見せてみて?
なるほど、こう見えてるのか。僕なら、こうするかな。って。

彷徨う人
(田中千智氏の同名(彷徨う人)の作品です。私はこの絵に目を奪われてしまいました。)

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