ストックホルム症候群

2015年8月23日 / 彷徨う人

 いわゆる「ストックホルム症候群」とは、1973年8月にストックホルムの銀行で起きた「2人組による強盗事件」において、このとき人質となった4名の若者が、次第に強盗犯を擁護するような言動に出たことから着目された、特殊な認知障害である。
 奇妙なことに、① 長時間の拘束の間に、次第に強盗犯と人質との間に信頼関係が築かれて、強盗犯が眠っている間、人質が警察に銃を向けて警察の突入を阻止したり、② 事件が終了して拘束を解かれてからも、人質たちは、警察に対して強盗犯を弁護するような供述をし、そのうちの一人は後に強盗犯と結婚したが、かような認知障害(不可解な心理反応)はなぜ起こったのか。

 人質が警察に銃を向けた(上記①)のは、強烈な恐怖に支配された人質が、生き延びるために、その支配者(強盗犯)に対して、完全な服従を誓ったからであろう。特に「警察が突入したらお前ら全員殺して俺も死ぬ」などと言われていれば、警察の突入を全力で防ごうとすることがありうることは容易に想像できる。ただし、人質が警察に銃を向けたのは、それだけが理由ではなさそうだ。なぜならば、強盗犯2人が眠り、人質が銃を持っているのであれば、もはや拘束されている必要はないはずだからである。

 強烈な恐怖に支配された時間が長く続くと、人質は、自分の「心」を守るために、自分の置かれた深刻な事態を敢えて軽視しようとし、その結果、「強盗犯は実は悪い人じゃない。きっと、命は助けてくれるに違いない。」とか、「強盗犯が怒っているのは、さっきの私の態度が悪かったからであり、それは専ら私の責任だ。」などと考えるようになり、また、いったん突きつけられた銃口が下げられると「命を助けてくれた」と感謝の念さえ抱くようになる。
こうして、被支配者(人質)が支配者(強盗犯)に対して、「共感」、「信頼」、「感謝」さらには「好意」とも見える心理状態を誤って形成することがあるらしく(上記②)、これがこの症候群の本質である。

                                                                       
 ところで、かような認知障害(心理反応)は、強盗人質事件でのみ見られるものではなかった。

 暴力団員及び暴力団関係者らによって長期間脅され、搾取され、まとわりつかれていた家族が、正にかような心理状態に陥っていたところ、我々(弁護士)は、この家族から依頼を受けたので、脅し取られた金額に、これと同額の慰謝料を加算した金額の支払いを求めて提訴した。
 しかし、裁判官にはこのこと(被害家族に「認知障害=誤った心理反応」が生じていたこと)が見抜けず、暴力団側からの「自分たちは彼らを脅したことはないし、彼らも自分たちのことを怖がってはいない。自分たちは、むしろ頼りにされ、彼らの相談にものっていた。自分たちが受け取ったお金は、彼らが、お礼として自発的に持参してきたものだ。」という弁解を一部受け容れ、被害家族はさほど恐怖を感じていたわけではないと認定して、慰謝料の請求をほぼ退けてしまった。

(ただし、控訴審の裁判官は、一審判決を覆して相応の慰謝料の請求を命じた。なお、ストックホルム症候群のような心理反応が生じていたという主張は、控訴審において初めてしたものだが、控訴審の裁判官が、この主張を容れたのかどうかは不明である。)。

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